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イサム・ノグチ

何処かで目にしているイサム・ノグチ

インテリア好きな方なら一度は「イサム・ノグチ」の名前を聞いたことがあると思います。

イサム・ノグチの名前を知らなくとも、作品を写真で見たことがあるというかたも多いと思います。

イサム・ノグチの作品で一番好きなのは「アカリ・ランプ」シリーズです。
MoMA(ニューヨーク近代美術館)にも収蔵されているシリーズで、和紙と竹を使った作品はイサム・ノグチが考える、「日本の美」を表現しています。

彫刻家として活躍したイサム・ノグチは、庭園から食器までたくさんのデザインを残しています。
作品は有名ですが、イサム・ノグチがどのような人物だったのか、知らないかたも多いのではないでしょうか。

今回はイサム・ノグチについてご紹介します。

イサム・ノグチ

イサム・ノグチは、1904年にロサンジェルスで、詩人の野口米次郎と、作家のレオニー・ギルモアの間に生まれました。
イサム・ノグチが生まれたときには父親は既に日本へ帰国しており、2歳で日本に渡るまで父親の顔を見ずに育ちます。

2歳になると母親とともに東京へ移り住みますが、父親と母親がうまくいかず6歳のときに母親とともに茅ヶ崎に移り住みます。

13歳になるとイサム・ノグチは母親の薦めもあり、アメリカの全寮制の学校であるインディアナ州のインタラーケン・スクールへ入学しますが、入学後すぐに戦争の影響でこの学校が閉鎖されてしまいます。

なんとかインタラーケン・スクールの創始者の援助を受けることができたイサム・ノグチは、アメリカで高校を卒業します。

高校を無事に卒業したイサム・ノグチは、お世話になったインタラーケン・スクール創始者の薦めもあり、コロンビア大学の医学部へ入学します。

その頃に母親がアメリカへ戻ってきます。
母親の薦めもありレオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校へも、大学と同時に通うようになります。

レオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校で見出されたイサム・ノグチは、なんと入学した3ヶ月後に初めての個展を開くことになります。

22歳になるとグッゲンハイム奨学金(優秀な科学者やアーティストが受けることができる奨学金)を受けパリへうつります。

パリでは大きな影響を受けることになるコンスタンティン・ブランクーシの助手として半年ほどを過ごします。

その後、第二次世界大戦が勃発し、イサム・ノグチは二世として悩みますが、第二次世界大戦が終わるとイサム・ノグチは日本へうつり、北大路魯山人の敷地内のアトリエで陶芸に励んだりもしました。

その頃に生み出されたのが和紙を使った「アカリ・ランプ」シリーズです。
日本で見た提灯に影響されたといいます。

「アカリ・ランプ」シリーズの後には、ユネスコ本部庭園をはじめ多くのデザインを手がけています。

晩年になると香川県にアトリエを構えて活動します。

ハーフであったイサム・ノグチは、日本ではアメリカ人として、アメリカでは日本人として、アイデンティティに悩んだようですが、晩年になってアメリカ人芸術家として認められ、第42回ヴェネツィア・ビエンナーレのアメリカ代表となったり、国民芸術勲章を授与されています。
日本でも勲三等瑞宝章を授与されました。

1988年になると北海道にあるモエレ沼公園のデザインをします。
モエレ沼公園は札幌にあるモエレ沼を囲む189ヘクタールある公園であり、イサム・ノグチがマスタープランを作成しました。
まさに公園全体を彫刻したのです。

ニューヨークにはTHE NOGUCHI MUSIUMがあり、年間を通して彼の作品を見ることができます。
街中でもイサム・ノグチの作品を見ることができます。

日本でも最高裁判所の噴水や慶応大学などイサム・ノグチの作品を見ることができる場所がたくさんあります。

「アカリ・ランプ」シリーズや家具は人気があり現在でも、インテリアショップで買うことができます。